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人力の道具で生木を削って小物や家具をつくる、グリーンウッドワークの講座を行っています。
これからの講座の予定は、下のメニューの「年間スケジュール」をご覧ください。

小原かごづくり特別講座①

<まずは材料づくりから>
今回使う材は岐阜県郡上市六ノ里の森から昨年の秋伐り出したイタヤカエデ。
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年輪の芯を通って半分の位置で割ります。
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木槌で鉈を打ち込みます。
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使う鉈は両刃の竹割鉈。

その上から更に矢を打ち込み、鉈を外します。
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矢の片側を持って下に押し込みながら反対側を叩き、割っていきます。
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きれいに割れました。
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放射線状に「梨割り」
四分割、更に八分割に。
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一方が薄くなってきた場合は、厚い側を木槌で横から叩きます。
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ほら、戻った。
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割りのコントロール方法、目からうろこです。

続いて写真の墨付けのように三等分。
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こんな材料が出来上がりました。
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編む前の薄くした材料を小原では「ハゼ」と呼びます。
因みに、山を越えて岐阜県側の旧徳山村では同じものを「ネギ」
更に飛騨地方の白川村では「ヒデ」と呼んでいたようです。
竹の場合は「ヒゴ」ですね。

この、ハゼの幅に合わせて削った材を、
年輪方向に平行に半分ずつに「割って」いきます。
この行為を竹細工では剥ぐと書いて「へぐ」とか「はぐ」といいますが、
小原では、単純に「割る」といいます。

刃物の峰を下にして材を上から叩き入れます。
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ここで使う刃物は「包丁」と呼ばれています。
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今では福井県鯖江の鍛冶屋さんにつくってもらっているそうです。

脚で片方を踏みながら均等に力を加えて同じ厚さに割っていきます。
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半分、また半分と割っていきます。
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出来上がりのハゼに近い厚みまで割ったら、幅を決めて
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そして表面を削るのも包丁です。
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まずは裏(木裏:木の中心に近いほう)を大まかに仕上げて、
次に表(木表:木の表面に近いほう)を丁寧に仕上げます。

ここまでの作業を太々野さんはいとも簡単に進めていかれるのですが、
私たちはなかなかうまくできません。
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一日かけて数本のハゼ。
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太々野さん曰く
「編めんことはないハゼができた」
まだまだ修行は続きます。

夜はウッディパル余呉のコテージで太々野さんを囲んでの懇親会。
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たくさんの関係者の方たちも集まって楽しい夕食の場となりました。

(つづく)
  1. 2019/02/13(水) 08:00:06|
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小原かごづくり特別講座~イントロダクション

滋賀県長浜市、旧余呉町の小原地区、
1980年、ここに丹生ダム(にうダム)建設が計画され、
1995年に水没予定地区での離村式が執り行われました。

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↓廃村となった小原地区を訪ねる小原かごツアーの様子はこちらから
小原かごツアー

しかし、周辺自治体の水利権放棄や自然環境への影響の懸念など様々な要因から、
2014年にダム建設を中止する方針が決定されました。
時代に翻弄された小原かごの郷
ここに伝わる木の籠づくりの技術をただ一人受け継ぐ「太々野 㓛(ただのつとむ)」さん(82歳)に講師をお願いして、
計4日間の特別講座を開催していただきました。
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会場はウッディパル余呉です。
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<小原かごの起源は?>~白子皇子のお話し~
今から800年ほど前、
天皇家に生まれた白子を隠すためにこの地に御所を建てました。
手先の器用な王子はモミジの木を薄く剥いで編んだ木籠づくりを考案し、
人々に広めたそうです。
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<小原かごの種類は?>
お茶を摘むかご
養蚕に使うかご
八百屋のゼニかご
鉈かご
「ワシらの子ども時代まで使っていた」赤ちゃんを育てるかご
(このかごは、ナラの木が使われていました)
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<いつつくられていたの?>
殆どが兼業で雪に閉ざされる冬の作業だったそうです。
そんな中でも小原かごづくりを専業で行う職人さんも数人居て、
一年を通して遠く山を越えて出かけ、その地で木を伐ってかごをつくる、
そんな生活をしていたそうです。

<どんな木を使うの?>
一般的にイタヤカエデを使います。
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この地にイタヤカエデがいっぱいあったから(環境的要因)、
もしくは、選択的に残されてきたから(人為的要因)なのでしょうか。
太さは10cmより少し大きいくらい。
「あまり大きすぎると持ちだすのに大変」だそうです。
大きなかごで1m10cmの長さが必要で、
根元に近い一番玉が最良とされ、
その中でも節のないまっすぐな樹しか使えません。
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さあ、この材を使っていよいよかごを編むための材料、ハゼづくりです。
つづく

(おの)

  1. 2019/02/05(火) 13:58:05|
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ケズリカケを訪ねて~群馬県神流町(1/14)

群馬県前橋市のサンデンフォレストで開催されたスプーンづくりの翌日、
同じ県内の神流町(かんなまち)で行われた御神体祭り「オンマラサマ」に参加させていただきました。

神流町の議員さんの視察で昨年11月に美濃のろうきんの森を訪ねてくださったことがご縁となりました。
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神流町の間物(まもの)地区を流れる三津川(さんづがわ)
ここが祭りの舞台です。
地名の音の響きを聞いただけでも何か神聖なものを思い起こします。
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(ちなみに、この近くには恐竜の足跡の化石も見つかったそうです。やはり何か神がかっている)

むかしむかし、疫病退散を願って川の下流に御神体を吊るしたのが始まりだそうです。
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毎年1月14日に執り行われ、一年間吊り下げられます。
これが去年のオンマラサマ。
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そして、1月14日の朝、間物地区の方々が集まりました。
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御神体に使う材は、直径約10cm、長さ約40cmのオッカゾ(ヌルデ)
昔から、元旦の日にオッカゾを採りに行くそうです。
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各家では小正月のお供え物(モノツクリ)の材料としてオッカゾを元旦に採りに行きます。
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山を持っていない人も、その日だけは何処の木を伐っても良かったそうです。
今では森が手入れされなくなり、大きなオッカゾは手に入りにくくなったといいます。
なぜ、オッカゾを使うか?
この木は「地球が生まれて最初に出てきた木」なんだそうです。
ヌルデは森を伐採した時に最初に生えてくる先駆種です。
生命力の象徴だったんでしょうか。
一方で、すぐに燃えてしまう薪にならない「使いみちがない木」だったから、というお話も聞けました。

オンマラサマづくりの担当は高橋さん84歳。
不幸があった年以外は、これまで約20年間毎年つくられているそうです。
その昔は高橋さんのお父さんも、つくっていたそうです。
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養蚕用の桑を収穫する「桑きり鎌」でケズリカケ部分を削ります。
皮だけだとすぐに落ちてしまうので、少し厚めに削るのがコツだそうです。
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削った部分をバーナーで炙ってケズリカケ部分に反りを入れます。
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御神体の完成です。
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お隣では御神体を吊るすためのわら縄をないます。
昨年は人手が少なかったため買ってきた縄を使ったそうですが、
今年は人数も多く集まったので、藁の状態からなうことができました。
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私たちもお手伝いさせていただきました。
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そして、オンマラサマを縄に吊るして川に架けます。
注連縄の横の縄が雲、縦の吊り下がっている縄が雨、白い紙(紙垂)が雷を表し、
結界のほかに豊作祈願も込められているんだと教えてもらいました。
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もちろん子孫繁栄の願いも込められています。
オンマラサマの挿した方向にある家に、子宝が授かるそうです。
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クライマックスは橋の上に並んで神様を「おーい、おーい、おーい」と三回呼びます。
これだけです。
なんとも素朴なお祭りです。
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しかしここで事件が起きます。
何を血迷ったのか、ギャラリーの多さに何かをアピールせねばとの思いからか、
まん中の代表の方がいつもはしない万歳の動作を行いました。
それにつられて、左側の人たちも。
しかし、右側の3人はしない。
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さて来年からどうなるか楽しみですね。

最後に、昨年のオンマラサマを燃やしながらお茶やお菓子が振舞われました。
なんとも心和む一日を過ごすことができました。
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神流町や上野村では昔から「ケズリバナ」をつくる風習もあります。
神流町議会議長の天野さんは天野刃物工房の四代目。
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今回特別にお願いをしてケズリバナ用の刃物「花カキ」をつくってもらいました。
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神流町の皆さん、大変お世話になりました。

日本のグリーンウッドワーク「ケズリカケ」を訪ねる旅。
これからも全国各地に伝わる風習を探し求めて旅に出たいと思います。
(おの)

  1. 2019/02/01(金) 16:26:42|
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小原かごツアーに参加してきました

滋賀県は、余呉の丹生谷の奥、ダム建設工事計画のために廃村になった小原集落で作られていた木かご「小原かご」。
グリーンウッドワークのメンバーの中ではたびたび話題にあがっていましたが、今回、メンバー数名でこの小原かごについて学べるツアーに参加してきました。
>>小原かごの詳細はこちら

まずは、バスで廃村になった小原集落へ。
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ここで、小原かごを作るただ一人の職人さん「太々野 㓛さん」から集落の昔話、かごの話を聞きました
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石垣や水舟などもまだ残されている集落跡地を自由に散策させてもらいましたよ。
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午後からは、ウッディパル余呉湖に移動して、小原かごづくりの実演です!
たくさん並べられた小原かご。
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イタヤカエデの木をへいだ「ひご」を編んで作られています。
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材料を粗木取りしていく感じは、まさにグリーンウッドワーク。
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ひごを作っていく様子は、竹細工にも似ています。
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まさに日本のグリーンウッドワークである、木かごづくり
グリーンウッドワーク協会でも何かできないか、目論見中です。
  1. 2018/11/01(木) 13:22:01|
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木地師の郷へ行ってきました

10月と11月の2回、木地師発祥の地、滋賀県の東近江市に行ってきました。
木地師とは、ろくろを使って木のお椀などをつくる職人のことです。

10月23日は台風21号の去った翌日。
奥永源寺の蛭谷で匠の祭が開催されていました。
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木工に限らず、様々なジャンルの作家の方が出展されており、
非常に興味深い内容でした。
そんな中、私の一番興味を惹いたのが「足踏みろくろ」
昔ながらの手挽きろくろの紐を足で交互に引っ張る構造です。
手挽きろくろと同じ、軸に紐を7巻き半。
右左を交互に踏む度に、器が行ったり来たりします。
私にとっては和製のろくろは初めての体験で、至福の時間を過ごすことができました。
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そして11月18日は、愛東コミュニティセンターにて開催された、
「木地師のふるさとシンポジウム」に参加してきました。
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まずは、龍谷大学名誉教授、須藤護さんの基調講演。
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木地師の歴史をわかりやすく説明していただきました。
・縄文から弥生に掛けて出土品の多くは土器であるが、これは土器が腐らないためであり、木器もまた多く使用されていたと思う。
・奈良から平安に入ると出土する土器の量が著しく減少する。それは、この頃から木器が多く使用されるようになったからではないか。
・この時代に木器の製作が盛んであったことは、百万小塔の存在で理解できる。
とのことです。
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この百万小塔は8世紀半ばにつくられたもので、6年間に100万個もの数がつくられました。
もうその時代にはろくろを使う技術基盤がつくられていたことの裏付けとなるんだそうです。

鎌倉以降、土器が木器や漆器に代わり始め、江戸時代に最盛期を迎えました。
そのころになると旧永源寺町小椋谷(蛭谷、君ヶ畑)近辺だけでは材料となる木材を入手できなくなり、木地師が全国に散らばっていったそうです。
しかし、明治に入ると鉄道などの輸送手段により、もともと割れやすい磁器の茶碗が全国各地に安全に運べるようになり、磁器が普及することとなりました。

シンポジウムの参加者80名の内、27名が小椋さん。大倉さんが2名。
いずれも木地師に多い姓です。
最初に挨拶をされた東近江市長は小椋さん、蛭谷出身です。
パネリストの木地師さんは、南木曽の小椋さん。
そのひいおじいさんの本籍は、小椋谷(蛭谷)だったそうです。
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この鉢は、星平四郎さんの作品です。
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星さんと言えば、1976年製作の民族文化映像研究所「奥会津の木地師」に出演していた木地師です。
星さんも山を降りて婿入りする前は小椋姓だったそうです。

もう一つ驚いたのが、
質問に立った方がなんと岐阜県美濃市の小椋さん!
まさしく、この地から全国各地に散らばった小椋さんの里帰りですね。

パネルディスカッションでは、
東近江から木地師文化を発信していくための方策が話し合われました。
日本の生木木工の原点ともいえる木地師文化、
その発祥の地である東近江からこれからも目が離せません。
(小野)

  1. 2017/11/22(水) 20:32:51|
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